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安久津八幡宮・三重塔

安久津八幡宮・三重塔

 この三重塔は、方三間の層塔で、山形県置賜地方唯一の木造塔婆です。
 銅板葺き(もと柿葺き)で、礎石から相輪の先までの高さ20.5メートルあります。初重の四隅に擬宝珠高欄廻縁をまわし、各重とも和様二手先、軒周りは二重の本繁垂木、三重は桧垂木です。明治の神仏分離以前の神仏混交期の所産で、寛永2年(1625年)に米沢の豪商鈴木十佐右衛門の寄進で建設されました。寛政3年に烈風で倒れ、同9年(1789年)に再建落成しました山形県指定文化財に指定されています。

安久津八幡宮の由来

 縄文の草創の頃から飛鳥・奈良時代にかけての貴重な数々の遺跡を残す「まほろばの里・高畠」、わけても神社周辺はその中心地域です。そして神社境内を見渡すとき、往時を偲ぶことができます。置賜東部の地域に屋代荘があった平安時代の昔より明治時代までは、関東から出羽国に入るには、福島県伊達桑折より宮城県七ヶ宿峠を経て、金山峠を越えて山形方面へ行く米沢街道を通らねばなりませんでした。その頃から八幡神社の建つ当地は置賜地方の玄関口でした。
 貞観2年(860年)、東国に三千仏建立を志した慈覚大師が、安久津の豪族安久津盤三郎の協力を得て、当山に阿弥陀堂を建設したと云われています。それが金蔵院として信仰を集めていました。その後2百年近く経過した永承6年(1045年)に、奥州安倍一族討伐の命を受けた源義家が二井宿峠を越えて当山に入り、軍勢を立て直し、戦勝を祈願して大勝を得たという。また寛治7年(1087年)に源義家は再度金蔵院に立ち寄り、後3年の役の戦勝祈願をしたところ、また大勝を得たという。そこで、源氏の氏神である八幡神を鎌倉由比郷より分霊しお祀りしたといいます。